2009年07月06日

『すべてはあなたの理解と正確さにかかっている』

まさにその通りだと、
昨夜、桜沢如一の本をばっと開いて、その開いた場所にあった一文に、心が深く共鳴していました。


ずっと前から、
陰陽の羅針盤はそこを指し示していて動かないのに、
見落として遭難しているのだとしたら・・・

この嵐が何故に、何ヶ月も、何年も、時として一生、止まないのか・・・


その航路に束の間でも光射した時、反転する帆に対極性の風を孕んでるのだと、指摘する者の声も届かないで、

人は、今日も、陰陽両極間のスペクトルの中で、人生の悲喜こもごもを生きる。



私も、ここのところ、ちょっとした飲食の誤りに気付きました。
問題が中庸へと、終息していきます。

正確な理解に基づいて実行しはじめてから、わずか数日。

そういうものかもしれないねえ、
あれ、全部あなたの言う通りじゃない?
あたりまえだけど!?

なんて、嬉しいパニックに、今更、  
陥っているのです・・・











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2009年06月21日

みんながあなたのようなら

自分の人生を生きなさい
平和と愛の道を歩みなさい

みんながあなたのようなら
この世は素晴らしい

街中が歌い、微笑み、美を求める

太陽のように、花のように、光のように愛し、
偽りも苦しみもない・・・
             (Jobin-Vinicius)



銀の雨

愛が“私と一緒においで”と
いったときはいつでも
お行きなさい

後悔することをおそれずに

あなたは信じなくてはならない
美しいものを
私の言うことを
それが奥義
それが生きるということ
        (E.Wilson-R.Bastos)
















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2009年05月03日

here comes the sun

春は、はじまりの季節、別れの季節でもあります。

庭には、無数の花の蕾が・・・
幸せな時です。

どんなに小さなことにでも、日々感謝したいと思えます。



子供の頃(小学一年生頃)に描いた、一枚の絵があります。

カタツムリが何匹か、います。
いちばん小さな一匹を除いて、他の数匹は同じ方向へと向かっています。

微妙な色使い・・・

カタツムリたちの周りを、複雑な情感の重さが、取り巻いています。

背景の青の濃淡は、透明な澄みきった空、というより雨粒でも落ちてきそうな気配・・・
罠にでもかかって、もがいている、そんな感じです。



春まだ浅い頃から、よく、思うのです。
直線上を、一方向に並んだカタツムリたちのことを。

そのカタツムリたちは、もう二度と、ここへは来ないのです。
時が十分に過ぎてしまい、おおよそからみつくしたから。


重い色彩を持ちこたえる必要も、もうないのです。

過ぎてしまえば、何もかも、ただ、なつかしい・・・

陽光が満ちていく胸を、よぎるのは、
難題を言って、手痛くしてしまったような想い、

右か左か、白か黒かと絶えず、迫っていたような・・・



碧い空に散る、
いとしい無数のカタツムリたち


この宇宙の、何処へ転がって行こうとも、いつでも、
偉大な愛である者の、暖かな手のひらの上で、ありますように。











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2009年02月25日

祈り

信仰とは

あくまでも個人の直観によって真理と知り得たものが、
どこかにとめておく程度に忘れられていながらも、度々確信となって蘇り、予期や、洞察をもたらして、
やがては、手付かずの星たちが散りばめられた道を、踏み固めるように、独り、導かれていく、

与えられる数々の試練を乗り越えながら・・・


真理と直接的に関係していること、
これが、祈りは聞き届けられる、ということの前提だと思います。






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2008年12月29日

スノーホワイト

今日、何故か思い立って、ディズニーの古いアニメ「白雪姫」を見ました。
泣いてしまいました。

雪のように白い白雪姫・・・
この世的なものによっては黒檀のような黒とされ、そして血に染まる宿命の標的となる無垢の美しさの表現が完璧です。


そして、最後に現われたお決まりの文句

   『かれらは、いつまでも、しあわせに暮らしました。』



今まで、聞き流していたこのフレーズが、今日は心に止まって、いつまでも響いています。



古い言い伝えを編集したグリム童話、
暗黒時代の真っ只中を生きた人たちは、様々な思いを込めて物語を語り継いできたのでしょうね。

光が何処にも見えない中世の時代に、彼らはどんな夢を胸に、果てていったのでしょう?


そのビジョンが顕現していく時代が、この世界に訪れるようにと、本当に願ったのでしょうか、

そんな時代に、生きてみたいと・・・



それは祈りを超えて、予言のようです。


王子の馬に乗って二人で、朝焼けに浮かび上がる希望の王国のような城を見ている最後のシーン・・・


此岸から彼岸へと、自分自身の努力とは別に強い力に導かれた2008年というこの年は、

私もはじめてみるような朝焼けの中に、言葉もなくずうっと立っていたような・・・そんな日々でした。









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2008年11月06日

いつか見た光

“苦悩”
それは、魂の道しるべなのに、何故避けようとしたりするのでしょう?

過ぎ行く事象よりも、ずっとリアルなものではないでしょうか?

今でも、それを気づかせる材料にしかすぎないような現実に、一喜一憂します。

でも、物事を俯瞰的に見ていけば、苦悩は、ただ、手を変えて、先回りして私を待っているだけなのだと分かります。



“七転八倒”
それはもう、より奥深いところからの希求にまみれた魂の姿であれば、のた打ち回った分だけ、自動的に先へ行くのです。

引き伸ばせば、後に来る、幾つになろうと容赦ないようなのです。
それに手をつけるまでは・・・



“破綻”
様々な破綻がありますが・・・

孵化(ふか)する寸前の繭(まゆ)の中で見る、光のようなものではないでしょうか?


多分、自分自ら、ひびをいれたのです。


朝起きてから、夜眠るまで、不透明なもので覆い庇ってきた日常の中で、ある時ふっと、

不用意にもかいま見てしまった世界から漏れ入る、光なのですよ、きっと。




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2008年10月18日

未来の花壇

暖かい日が続きます・・・

ドワーフマートル、ローズマリーホワイト、マドンナリリー、
そして、輝かしいロサ・ムリガニーの花がひらきはじめて・・・


来年の話なんですけどね、
ちっちゃな苗が届いたばかり・・・いえ、まだムリガニーの薔薇は注文もしていないのでした・・・


ここ数日、未来の花壇から、五感を超えた香気が漂って来るのです・・

時空を超えていた歳月にふと気がついて、そっと、慈しんでいるのでしょうか




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2008年09月13日

奇跡の人

最近、ヘレン・ケラーの映画『奇跡の人』の最後のシーンをふと、思い出しました。
中学一年の時に学校の体育館で見せられたその映画のシーンが、
人と街中で偶然出会って話した後、急に思い出され、気になりはじめたのです。

家に帰ってからyoutubeで検索したら、まったく同じ映画のそのシーンが見つかりました。

主演はメリッサ・ギルバート、大草原の家の少女、ローラだから覚えていました。

家族の者の同情からか教育をされず我がまま勝手に育ったへレンが、右手の中に溢れる水と、もう片手にアン・サリバンが必死に伝えてくる指文字との関連性をはじめて悟るというシーンです。

感動的な場面のはずですが、なんだか良く分かりません。
突如、ヘレンを襲う感動の正体が分からないのです。
映画的な表現・・・なのでしょうか?
その後に続く『water』と発話するのも唐突に感じ、その後に続く奇跡のような展開にはまったく置いてけぼりです。


でも、この物語の中に知りたい何かがあるのは間違いなく・・・


実際には、彼女は、サリバン先生が来てから二週間で、すべての物には名前があることを認識したそうです。

ある時、ヘレン・ケラーは、水とコップが同じものだと主張して聞かずいつものごとく反抗しました。

その後、その有名なポンプ小屋につれて行かれるのですが、
サリバン先生の手記によると、
水を流しながら指文字で伝えた瞬間、顔色が変わり、コップを落として考え込んでしまった。
彼女の面にいつもと違う輝きが現れはじめた。自分の誤りが分かったのである。

このことがあってから、あれほど頑固だったヘレンが急に素直になり、教えをよくうけ入れて、進歩も目立って来た、ということなのです。

つまり、奇跡の人、というのは確かにアン・サリバンのことだったのですね。

その前に、彼女の頭を冷やすために、しばらく他の事に興味を移し、ワンクッション置いてから彼女を小屋まで連れて行った、映画では省かれたこの忍耐の場面が全てなのだと分かった瞬間に、私も、おそらく、ヘレン・ケラーを打ったと同じであろうものに打たれ、その瞬間、生来、知性には勝っていたが何故か頑固で片意地だった彼女の顔に、“はじめて立ち現われた輝き”というものが、見えたような気がしたのです。





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2008年08月14日

夏の思い出

ミンミンゼミが盛んに鳴いています。
ちょっとびっくりするほど、激しすぎますね。

夕べは何匹か鳴きながら何度も網戸にぶつかって来て、すごい羽音がするのです。ちょっとした騒動が続いて急に静まり返ったので、恐る恐る網戸を開けてみると、蝉が二匹ベランダに転がっていました。

何が起きていたのか?
いつも、こうなのだろうか・・・

この間は、木の幹の小さな窪みに収まって、眠るように硬くなっている小さな小鳥の姿を見たのに。


画像 1964.jpg

子供の頃、祖母が、蝉は少ししか生きられないから取ったりしちゃだめだ、と子ども達によく言っていました。


夏がいくつも過ぎて、そんな願いも、子供達の夢も、この世の無情な歯車とともに根こそぎ引き抜かれていったかのようでした。

けれど優しさは、その慈悲をかけられた人の心の中に痛みとなって芽生えています。



あとどれだけの、血が、涙が、人生が、費やされたなら地球の回転は、苦しみから抜けられるでしょうか?



・・・何もかも、深い水に漂う・・・




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2008年07月14日

無双原理U

右と左、左脳と右脳、肉体と精神、男性と女性・・・・・


両脚の長短差矯正を学びはじめた頃でしょうか?

こういった相対性の両極のそれぞれに一貫して通じていると感じられるその性質について、気になり始めたのは・・・



疑問はほどなくして解けました。


『陰陽』という鍵を空からポンと投げてくれたのですね。

晩年の写真では、猿顔全開で笑っているそのおじさんの、妙な明るさ・・・

それはきっと、世界を明察した男の子の、魂の底から湧き上がる笑顔でしょうか。



この男の子(桜沢如一)は言います。


この原理は日本神話にも現われている。
その秩序はキリスト教の創世記にもはっきりと出ている。
老子の道徳教や四書五経・・・
日本で〜道と呼ばれるものは皆この秩序を原理として教えるものである。



イエスの教えを伝える最古の書とされるトマス福音書にも、この原理についてイエスが触れていると思われる箇所をいくつか見つけました。


あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが男と女を一人にして男を男でないように、女を女でないようにするならば・・・・・そのときにあなたがたは御国に入るであろう。』


陰陽に分裂したものの統合ですね。



人間は、男であり女であるからこそ、この世界に誕生し、それぞれの性を生きることが定めではあります。

ですからこの世界にあるのは、あるゆるレベルでの陰陽の分離と、そして統合ではないでしょうか?



人は結び合わされるとき、光で満ちるであろう。分かたれるとき、闇で満ちるであろう。』



健康問題から、結婚生活、人としての存在の在り方に至るまで、すべては陰陽のバランスにあると思うわけです。



上を下のように、下を上のように・・

『左を右のように、右を左のようにして、どちらの脚が長かったのか、もう分からなくなったその時に、あなたは健康になっているであろう・・・』 


と、このように私もずっと言っていますが、真理について語り、聞いてくれる人がいる事は、幸せなことですね。



『この世界に顕現する神の徴し(無限宇宙)とは何か、と聞かれたら、それは運動(陽性)と休息(陰性)である、と、かれらに言いなさい。』







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posted by blanchemoreau at 23:28| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする